2019年1月16日 星期三

布帛繡線織百尺華


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2019/01/17 第238期 訂閱/退訂看歷史報份TAEPEI
布帛繡線織百尺華
 
 
布帛繡線織百尺華
文/Taipei
布と刺繍が織りなす美しさ

往年の輝き受け継ぐ精緻な手作り品

19世紀初頭、各地から物資が集まった大稲埕埠頭の近くに日本人が開設した「公設永楽町食料品小売市場」。現在の永楽市場の前身です。当時、日用品だけでなく、シルクやプリント生地など、各国から船で輸入された様々な布地がここへ運ばれました。埠頭からほど近い永楽町には輸入生地を扱う店が現れ、この地は台湾北部から商品が集中する卸売・小売市場となっていったのです。

そうした生地屋の二代目で、幼いころから永楽市場で育った李姵儒さんは、1970年代当時のにぎわいについて「お金持ちが大勢やって来てここで生地を選び、裁断して、仕立て屋さんにオーダーメイドの礼服を注文したものです」と語ります。

また生地屋を切り盛りして30年あまりになる李さんの母親によると、かつては息子が嫁をもらうという時、気の利いた人間なら必ずここへきて奥さんのチャイナドレスから新婦や伴娘(新婦の付き添い)の衣装まで全て注文していったと言います。

1980年代に入り、台湾で紡織産業が発展すると、それまで輸入に頼っていた生地がどんどん開発されるようになっていきました。永楽市場の生地店主は今でも、当時は株式市場のアナリストも同市場へやって来たものだと懐かしげに話します。店の者とおしゃべりをすれば、どの紡織メーカーが新しい生地を開発したか、売れ行きはどうかなど株価の変動に関係する動きをすぐに察知できたからだそうです。

ファストファッションの隆盛とオーダーメイドの衰退

「2000年ごろからファストファッションというものが出てきました。オーダーメイド服は既製服に地位を奪われ、生地屋の商売もかつてのようにうまくはいかなくなりました」。李姵儒さんは当時、店を継ぐつもりはありませんでしたが、まさにそのころ、この地の商店には転機が訪れ、「以前は服だけを作っていた店が、カーテンやクッションカバーなども作るようになりました」といいます。その変化は生地店の品揃えにも影響を及ぼし、織りや材質の良さを追求した衣類用の生地だけでなく、分厚くて見栄えがよく、遮光性などの機能が重視される布地を多く扱うようになり、一部ではソファー生地専門店に転じる店も出てきました。

しかし「市場に大量生産品があふれるようになると、消費者は素材が良くて長持ちする、自分だけの品を探し始めます」という李さんによると、2006年ごろには市場に変化の兆しが見え始め、バッグやアクセサリーの作り方を教える小さな手作り教室が現れるようになったそうです。

生地屋二代目が

手作りバッグ店開業

台湾で衣料品店の数がピークに達した2011年、この業界が既に下り坂に入っていることを見抜いた李姵儒さんは「あらゆる流行に波があるように、アパレル業界も衰退が始まっていました。そんな時、消費者の声を出発点とするオーダーメイド製品に発展のチャンスを見出したのです」と語ります。そして2014年、母親の生地屋のそばに手作りバッグ専門店「針線勤」をオープンし、さらにオリジナルバッグの作り方を教える教室を開講したのです。それまで永楽市場にはほとんど足を踏み入れたことのなかったような客層が店に姿を見せ始めました。

李姵儒さんはピンクのビーズが付いたがま口バッグを取り出し、「この生地はフランス製で1ヤード3万台湾ドルもします。ビーズは一つ一つ手で縫い付けてあって、小さいものだけど価格は1万8,000台湾ドルになります」と説明してくれました。この美しい輸入生地はお母さんの生地屋から「掘り出した」もので、本来ウェディングドレスに使われるはずでした。目立たない老舗のこの生地屋に、その価値に見合う舞台が与えられていない貴重な布が数多く潜んでいることがうかがえます。

もともと跡を継ぐ気のなかった李姵儒さんですが、心変わりのきっかけは「お客さんの服を仕立てた残りの布で、何となくお揃いのバッグを作ってみたこと」だったと語ります。間もなく生地屋を本格的に引き継ぐにあたって、「新しい生地をもっと仕入れ、店にたくさんのサンプルを置くことでお客さんに服やバッグ、靴の仕上がりを想像してもらいたい」と構想を話してくれました。

布の生かし方はさまざまです。淑女の華やかなドレスに仕立てることもできるし、リビングを彩るテーブルクロスを作ることもできます。布作りは単なる産業ではなくライフスタイルそのものでもあるのです。

今風の欧風の手作りバッグを手掛ける店がある一方で、永楽市場の外にある質素で小さな刺繍店「聯暉繡荘」は、伝統的な手法にこだわりつつ、斜陽産業の中で生き残る道を模索しています。

手作り刺繍で

価格競争を生き抜く

聯暉繡荘は大稲埕で最初の刺繍店。神像に着せる「神明衣」や祭壇を飾る布「卓囲」、道教寺院の入り口などに飾る「八仙綵」など、主に祭儀用の刺繍製品を請け負っています。

三代目の童振熙さんは、「刺繍店が繁盛した時期は二度あり、一度目は戦後、台湾へやって来た外省人の生活が徐々に落ち着き、先祖供養に手が回り始めた1950年代。二度目は宝くじがブームになり、寺院への寄付が増え、祭儀用品の購入熱が高まった1970年代」と語ります。当時は昼夜の区別なく働き詰めだったそうで、「20年前は仕事が終わるか心配でゆっくり寝られなかった」と振り返ります。

最盛期、大稲埕の刺繍店の数は15 軒にもなりました。各家庭に先祖の位牌があり、寺院も林立していた当時、新竹以北の人間が祭壇などに置く刺繍飾りである八仙綵や神明衣を買おうと思えば、まず大稲埕へ向かったといいますが、今では聯暉繡荘のような刺繍店は台北市全体でも3軒しか残っていません。

「最盛期に比べれば、今の商いは十分の一程度」だという童さんによると、景気が良かった時代に需要に応えるため、大量生産化が進んだものの、やがて人件費の安い中国メーカーに太刀打ちできなくなり、台湾の刺繍店は一軒、また一軒と消えていきました。しかし、一貫して手作りにこだわり続けてきた聯暉繡荘は、低価格競争の嵐を切り抜け、今まで生き残ってきました。

童さんは「台南や宜蘭にも聯暉と同じような老舗の刺繍店がありますが、そこでも職人による手作りを続けていて、商品はうちより値が張るんですよ」と言います。一人の職人が完全な手作りで仕上げた場合、製作期間は10日近くかかるため、12尺の八仙綵で価格は7万〜20万台湾ドルほどするそうです。

手作りにこだわり商品を多様化

八仙綵や桌囲、レストランで披露宴を開く際にステージ上に掲げる「囍」の刺繍が入った布飾りなど、かつて冠婚葬祭で重視された品々は全て刺繍店で作られていましたが、「今はしきたりにこだわる人間が少なくなり、結婚式用の刺繍製品は一年に一組売れる程度」といいます。

童振熙さんは相変わらず手作りにこだわりますが、市場の需要に応じた変化も取り入れています。かつて神明衣には「媽祖が身に付けるのはオレンジ色のみ」などと厳密な規定がありましたが、時代の移り変わりに伴い、鮮やかなピンクや緑の服を着せたいと考える信徒も出てくるようになり、童さんもそういった求めに応じるようにしています。

祭儀用品のほか、刺繍店が請け負う品々は多様化しています。童さんは「ここ数年、多くの文化・歴史事業関係者が『陣頭(お祭りの武芸)』文化に関心を寄せるようになり、これに関連したさまざまな刺繍入りの旗に注文が入るようになった」と言います。また手の込んだ手作りの刺繍は国の誇りを示す役割も果たしているようで、「昨年、ある人から二頭の龍を刺繍した製品の注文を受け、『台印双龍』の字を加えるよう指示がありました。支払いの段になってはじめて、総統府が外国からの来賓に送るために注文したことが分かった」というエピソードを明かしてくれました。また聯暉繡荘ではかつて、蒋介石総統の誕生祝いの対聯や全国中学生野球大会用の旗を手がけたこともあります。

注文の量はかつてに比べるべくもありませんが、童さんは「今や手作りの刺繍店は少なくなったから、特別な刺繍や八仙綵を作るのは、うちのような店にしかできません」と楽観しています。

大稲埕の老舗生地屋と刺繍店は、常に軌道修正しながら、ついに生まれ変わり、よみがえることができたのです。

 
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